『  やくそく   ― (1) ―  』

 

 

 

 

 

 

  愛している  って言ったわよね

 

             君だけ    って誓ったわよね 

 

             約束  したわ

 

             なのに どうして  

 

         そのヒトは だれ。  その指輪は なに。   

 

 

           ―   アナタは  誰なの・・!?

 

 

 

「  かあさん !  ねえ ねえ これを見て! 

 

  ― バタン ・・・!     大きな音でドアがしまると娘が飛び込んできた。

頬を染め 息をはずませている。

「 ・・・ ドアは静かに閉めてなさい。  ああ お帰り・・・ 」

母親はしかめっ面をして娘を見たが すぐにもっと眉間に深い皺をよせた。

「 おまえ・・・ また そんなに息を切らして ・・・ 

 走っちゃいけないって言っただろう?  それでなくても心臓が弱いのに ・・・ 」

「 だ〜いじょうぶよ!   私、踊りで鍛えているもの。 

 母さんったら 母さんの娘がこの村一番の踊り手だってこと、忘れたの? 」

「 忘れてなんかいませんよ。  けどね、ほら こんなにほっぺが熱いよ・・・

 また村の連中と踊ってきたのじゃないのかい? 」

「 うふふふ  平気よ 平気。 今年の収穫祭の舞姫も この私なのよ♪

 ねえねえ それよりも   見て!  こ・れ!  ロイスにもらったの。 」

娘は一層頬を紅潮させ 母親の目の前に左手を差し出した。

「 ロイス?   ・・・ ああ 村外れの小屋に居る若者だね。 

 ・・・他所者 ( よそもの ) じゃないか。 」

「 あらあ〜 どこから来たって、今はこの村に住んでいるんですもの・・・

 この村に若者よ。  ねえ ほら  見て、かあさん。 」

「 ・・?? 」

ぴん、と伸ばした指に金色の輝きが  あった。

「 ・・・ これって ・・・ あんた これ ・・? あの風来坊が? 」

母親は娘の手を引き寄せ その輝きをしげしげと見つめる。

  ―  紋章入りの立派な指輪だ。  ただ、娘には少々大きいようだ。

「 こんな  こんな大層なものを・・! 

 あの風来坊の若いのが お前に買ってくれたっていうのかい!? 」

「 あら ・・・ 買ってくれたのじゃないわ。

 新しいのを買うお金がないから 家にあった旧いのでごめん。 って。

 でもいいの。 これ ・・・ キレイですもの♪ この模様もすてき! 」

「 模様って・・・ これはね 紋章だよ。 ・・・どこかで見た覚えがあるんだけど・・・ 」

「 新品じゃなくてもいいの。 だって・・・ 約束、してくれたから。 」

「 ― え。  約束・・・って お前 ・・? 」

「 うふふ あの ね ・・・    あら? あの口笛は  〜〜〜 !! 」

娘は耳を清ませていたが 母の手から腕を引き抜くとぱっとドアに跳んでいった。

「 ・・・ ロイス!!  いま  行くわ! 」

 

   ― バン!!  またしても 大きな音をたててドアが閉まった。

 

「 あ  ・・・  もう〜〜 ・・・ 」

母親は盛大に顔を顰めたが 、窓から外を眺めすぐに ひどく心配な表情になった。

「 あんな立派な指輪をくれるなんて ・・・ どういうつもりなんだ・・・アイツは

 ・・・ ああ あんなに走って ・・・ 気をつけておくれ  ・・・ 

 お前にもしものことがあったら ・・・ 母さんは生きちゃいられないよ ジゼル。 」

 

 

 

 

    いらぬ注 : ↑  は 『 ジゼル 』 の第一幕に至るまでの話です。

            貴族のアルブレヒトは平民に身を窶しロイスと名乗って

            村にしばしばやってきていました。

            そして そこで村一番の踊り手である ジゼル と出会いました。

            二人はたちまち恋に落ち アルブレヒトは身分を偽ったまま・・・

            誓いの指輪を 彼女に差し出したのです。

            同じ貴族の姫と婚約してる彼にはジゼルとの付き合いは

            ただの戯れの恋 だったのです。

            勿論 ジゼルはそんなことは知りません。

 

 

 

 

 

 

つい数分前まで聞こえていたピアノの音はふっつりと消えた。

ほんのわずかの静寂の後  ―  

「 お疲れ〜〜〜  」

「 うわあ・・・・ もうダメかも〜〜〜 お腹空いて! 」

「 あはは なに それ〜〜  」

「 きゃ〜〜 早くシャワー〜〜 しようよ! 」

おしゃべりの声が わ・・・っと聞こえてきた。

  タタタタ ・・・  トトト ・・・!

それと共に軽やかな足音がして ― ほっそりした少女たちがスタジオから飛び出してきた。

 

  ここは パリにあるバレエ・スクール

明日のバレリーナを夢見る少女たちがそのしなやかな身体を踊らせている。 

  ―  いや < 夢 > ではない。

彼女らにとって それはもうすぐ手の届くところまでやってきている。

バレエ・スクールの最終学年 ・・・ つまり卒業と同時にプロフェッショナルとして

踊ってゆく ・・・ いや、 ゆきたい、と願っている少女たちなのだ。

十代も後半の彼女らは今 レッスンが終わり  わらわらと廊下に出てきたところだ。

 

「 マリ〜〜 帰りにルイの店によらない? 」

「 ん〜〜 ちょっとまってェ ・・・ 」

「 ねえねえ ・・・セールっていつからだっけ? アタシ、 ポアントの買置きがないのね〜 」

「 え〜〜 まだだよ、来週だっけ?  ニケ、知ってる? 」

「 なに?  セール?  レペットは来週からよ。 」

「 うわ〜〜〜 ・・・ 困る〜〜 」

「 だから冬に買っておけば  ・・・ あれ ファンションは? 」

「 ??  ・・・ あれ?  まだ自習してるみたい。 」

「 自習? 」

 

 

   ― カツン ・・・!  

 

水色のレオタードが 誰もいなくなったスタジオでまだ踊っていた。

薄暗い空間、一人のダンサーが  いや 妖精が宙に舞う。

 

「 ファンショ − ン! まだ帰らないのォ〜〜 ? 」

「 ・・・ あ ・・・ ニケ。 ごめん ・・・ 先 行ってて・・・ 」

「 いいけど ・・・ なに、自習? 」

「 ウン。  ・・・ 今度の発表会 ・・・ 」

「 ・・・ あ ・・・ あ そうだね 」

「 ごめんね  ニケ。 」

「 ― ねえ ファン、 一人? 」

「 え?  ・・・ ええ 今のところ、わたしだけみたい。 」

「 じゃ ― アタシにも使わせて。 」

「  ― ニケ。 」

「 アタシだって・・・ 負けないよ、ファン。 」

「 うん。  待ってるわ。 」

水色のレオタードは 汗まみれの顔で微笑んだ。

帰り支度をしていた少女は に・・っと笑い返し更衣室に引き返していった。

 

「 ・・・ ふんふん〜〜♪  わたしだって 負けないわ。 」

彼女は再び稽古場のセンターに出た。

「 え・・・っと。  下手から走ってくるでしょ ・・・ それで 」

 

「 うぉ 〜〜〜 い!  ここ 使ってもいいかなあ〜〜 」

 

スタジオの入り口から今度は同じ年頃の少年がひょっこり、顔をのぞかせた。

「 あら ・・・ ミシェル。  ボーイズ・クラスは終ったの? 」

「 あ〜〜 ・・・ や〜〜っとな〜〜 ムッシュ・クレスパンはさ〜〜 

 くどいんだよ〜〜 も〜 ラスト、セゴン・ターンだけでも何回やったと思う? 」

「 ふふふ・・・ いいじゃない、彼のテクをしっかり盗めば。 」

「 あ は ・・・ ま〜な〜 ・・・ で、ファン、 ここ 使ってもいっか? 」

「 ええ どうぞ。  あ ・・・ あと ニケ も来るけど・・・ 」

「 あ〜 俺の方が後だからな〜 文句は言わね。 

 さ〜〜て ・・・と、 いっちょ やったるか〜〜〜 」

少年は ぶら下げていたバッグをどさ・・・っと床に置き、ついでに彼自身も座り込んだ。

「 ひえ〜〜〜っと ・・・ タオル タオル〜〜 もう一枚あったはず ・・・ 」

 

   カツ ・・・!  シュ ・・・

 

バッグを探っている少年を尻目に、水色のレオタードが踊りはじめた。

「 え〜と ・・・  ん ・・??   あ ・・・ 」

少年の動作が止まった。

彼は タオルを握ったまま踊る少女をじっと目で追っている。

やがて 彼はぱっと立ち上がると、 稽古場の真ん中に歩み寄る。

「 ・・・ ファン。 」

「 ・・・あ?  え??  な なに?? 」

ポーズをとっていた少女は驚いて脚を降ろした。

「 相手、 やる。  ファンは 『 ジゼル 』 だろ?  卒業コンサート・・・ 」

「 え ええ ・・・ でも ミッシェルは 『 ライモンダ 』 でしょう? 」

「 ん ・・・ だけども! サポートの練習にゃ 最高だもんな〜

 いや ・・・失礼、 お相手お願いできますか マドモアゼル・ジゼル? 」

「 ふふふふ ・・・ ええ 喜んで。 ムッシュ・アルブレヒト。

 わたし 二幕のパ・ド・ドウ よ? 」

「 わ〜〜かってるって。  じゃ ・・・最初から  やる? 」

「 d'accord  ♪ 」 

「 音 ナシだけど。  カウントでゆくぞ〜〜 」

「 了解〜〜  じゃ お願い。 」

「 よし。  ・・・ いいか?   1 ・・ 2 ・・ 3 ・・ 」

「 ・・・・! 」

 

 

 

     いらぬ注 : 『 ジゼル 』 二幕のパ・ド・ドゥ とは

             深夜の墓場にやってきたアルブレヒトと 死後ウィリーとなった

             ジゼルの踊り。

 

 

 

稽古場の下手から 水色のレオタードが軽くステップを踏んできて ― ふわ ・・・・

少年は彼女をきれいに頭上にリフトした。

「 へ〜〜〜 ファン  軽いな〜〜 」

「 え? なに・・・」

「 軽いなって言ったんだよ。 このまま 続けるぜ〜 」

「 はい お願い・・・ 」

音楽はなくても 二人の耳にはちゃんとメロディーが聞こえている。

二人は ―  練習生から ダンサーに そして ウィリ と 王子 になってゆく。

二人の世界が ぱあ〜〜っと広がる。

   ・・・ あ ッ! 

王子のサポートで手がすべり ウィリーの上体がずれる。

「 ・・・ お っと ごめん ・・・ 」

「 うん   あ ・・・っと〜〜 」

バランスを崩し、少年は彼女を離した。

「 わる〜い ・・・ やっぱいきなりは無理かな〜 」

「 わたしこそ ごめんなさい ・・・ そうねえ パ・ド・ドゥ クラスでも

 ミシェルと組んだこと、なかったものね。 」

「 う〜〜ん そうだな? ウン・・・・ 」

「 続き やる? 」

「 いい? 俺 ・・・ もうちょっと踊ってみたい。 」

「 『 ジゼル 』 って クラスの課題ではあんまりやらなかったわよね。 

 新鮮でいいかもね。 」

「 うん ・・・ それもあるけど ・・・ 俺 踊りたいんだ ・・・ファンと・・・ 」

「 ありがとう♪ 」

 に ・・・っと笑いあうと 二人は再び ―  小暗い湖の畔に、深夜の墓地へ ともどってゆく。

 

 卒業コンサート。

それは単なる卒業のお披露目ではない。 

スクールを終える踊り手の卵たちの、いわば就活の場なのだ。

コンサートで 何を踊るか そしてもちろんその成果によって彼らの就職先 ― 

つまり職業舞踊手として採用される先が 決まる。

個別に希望するバレエ団のオーデイションを受ける、という方法もあるが、

正規の学校の卒業者にはコンサートの結果が重要なのだ。

 

 

「 ・・・・・ 」

少年が一人、 スタジオの建物の出口でぼ〜〜っと空を見上げている。

ジーンズにトレーナー、どこにでもいる若者だが・・・ 足元に大きなバッグを置いて人待ち顔だ。

「 ・・・ 〜♪ ♪♪  ・・・・  と ・・・ 」

ハナウタに混じって時折 低い口笛が聞こえる。

 −  やがて パタパタと軽い足音が聞こえてきて、ドアが開きひょっこり少女が出てきた。

「 お待たせ〜〜〜 ! 」

「 ・・ ファン〜 5分って〜〜 こんなに長いかぁ〜〜? 」

「 ごめんなさい ・・・ これでも急いだんだけど ・・・ 」

「 あは  まあ いいさ。  ・・・ なあ ちょっと公園の方から帰らないか? 」

「 え ・・・ いいけど ・・・ ミシェル、遠回りでしょう? 」

「 うん 少し喋りたいな〜 なんて思ってさ。

 ごめん、  ホントはカフェとか ・・・ 誘いたいんだけど・・・・ 」

「 誘ってくれて メルシ♪  お金、勿体無いでしょ。  散歩でいいわ。 」

「 ・・・ ありがと ファン。 」

「 あら わたしも金欠ってのは本当よ? 」

「 知ってるさ〜 」

「 ふふふ ・・・ そうよね〜〜  わたし達、皆 お財布、軽いのよ。 」

「 うん。  ・・・ よかったら・・・ちょっと話たくて  さ ・・・ 」

「 行きましょ。  ああ ・・・ いい風ねえ〜〜 」

二人は連れ立って 稽古場の門を出た。

大通りに出れば カフェはどこもいっぱいで、多くのヒトが初夏の光を楽しんでいる。

「 うわ〜・・・もうこんなに陽射しが強くなってきたのね〜 」

「 うん?  6月だもんな〜 」

街路樹の間からもれてくる光が 足元に濃い影を落としている。

「 ヤだな・・・ 日焼けしちゃうかな〜  」

「 ごめん ・・・ やっぱカフェとか入ろうか? 」

「 ううん いいわ。  公園ならもっと木が多いから ・・・ 日除けになるわ。 」

「 そうだな〜 じゃ いこ! 」

「 うん! 」

「 あ ・・・ そっちの荷物、 もつよ。  ほら! 」

「 わ〜い メルシ♪ 」

二人はちょん・・・と手を繋いで 元気よく駆け出した。

 

 

「 ふぁ〜〜〜 ・・・ 気持ちいい〜〜 」

「 そうね  いい風 ・・・  あ あそこ! ベンチが空いてるわ。 」

「 うん。  ・・・ あ ちょっと先に座ってくれる?  すぐに戻るから 」

「 いいわ。 荷物 ありがとう。  ほらミシェルのも かして? 」

「 あ 悪いね〜  」

荷物を少女に渡すと 少年はぱっと茂みの方に駆け出した。

少女は 木陰のベンチに座りほっと一息ついている。

「 ・・・ あ〜〜〜 ・・・ 気持ちいい ・・・  」

「 おまたせ!  ほら。 」

少年は 背の高い紙コップを差し出した。 

「 ?  わあ〜〜 もう ソルベ、売っていたの? 」

「 うん  さっきチラっと見えたから さ。  あ ラズベリーでよかった? 」

「 ええ♪  あ ・・・   はい、わたしの分。 」

「 え ・・・ いいよ〜 」

「 だめよ。  お財布が軽いのはお互い様、でしょ。 」

「 ん ・・・ メルシ。 」

少年は差し出された硬貨を素直に受け取った。

 

   ― サワサワサワ ・・・・

 

緑濃い木々が揺れ 風まで緑色に染まりそうだ。

二人はしばらくラズベリーのソルベに熱中していたが やがてぽつり、と少年が口を開いた。

「 頑張ってるな ファン ・・・ 」

「 え?  あら ・・・ 皆同じでしょ。  

 あ ・・・ 今日はサポートの相手してくれてありがとう。  

 ごめんなさいね・・・ ミシェルだって 『 ライモンダ 』 自習するつもりだったのでしょう? 」

「 いや ・・・ すごく勉強になったもんな〜 

 俺こそ ありがとう。  一度 君と パ・ド・ドゥ 踊りたかったな〜

 ジャックが羨ましいや  」

「 あら 〜〜 下手くそでがっかりするんじゃない? 」

少女はにこにこしている。

「 下手くそ に 『 ジゼル 』 が回ってくるかなあ・・・ 」

「 うふふ ・・・ いい役を貰っても ちゃんと踊れなかったら意味ないし。 」

「 まあ な ・・・ ふぁ〜〜 ・・・ いい風だなあ・・・ 」

「 ホント ・・・ 」

「 ― なあ ファン。   君 ・・・ その ・・・ 卒業後って約束とかした人 いるの? 」

「 え? 」

ソルベの容器を持ったまま 碧い瞳が無邪気に少年に向けられた。

「 だから その。 卒業したら ・・・ 」

「 ああ。 そりゃ オペラ座に入れれば最高だわ。 ミシェルだってそうでしょ? 」

「 あ ・・・ああ うん。   それで その・・・ 約束した人 は 」

少年はなぜか俯いてしまい 足元ばかり見つめている。

「 約束 ?  ・・・ あ そうね、いるわ。 」

「 ― え。 」

「 絶対にね、オペラ座に入るから・・・って お兄ちゃんと約束したの。

 わたし、頑張るから・・・って。  兄も応援してくれているわ。 」

「 ・・・ え  お兄さ ・・・ん ?? 」

「 そうなの。  ウチはねえ、両親ともに亡くなってしまって・・・

 わたし、バレエ学校やめる・・・って言ったのよ。

 そうしたら 兄が ― 応援してやるから頑張れ! ってね。 」

「 ・・・ ・・・・ 」

「 兄は空軍にいるの。  休暇の時にしか会えなくて淋しいけど・・・

 でも兄も頑張っているんですものね。 わたしも ・・・ やるわ! 兄との約束なのよ。」

「 あ  ・・・ ああ そう なんだ? 」

「 ええ♪  それにね〜〜 卒業コンサートは見にきてくれる約束なの。

 ちょうど休暇がとれそうだから・・・って。 」

「 ・・・あ そりゃ ・・・ よかったね。 」

「 うん♪ だからね〜〜 『 ジゼル 』  頑張るわ〜〜

 ね、ミシェルも頑張って。  オペラ座  ―  負けないわよ〜〜 」 

「 あは ・・・ そっか そうだね・・・ 」

「 そうよ!  あ〜〜 ソルベ〜〜 とけちゃう ・・・こぼれるわよ〜〜 」

「 あ!  いけね・・・ 」

少年は慌てて ・・・ 何時の間にやら握り締めていたコップを置いた。

目の前に揺れる亜麻色の髪が 眩しい。

・・・ ふう ・・・ 彼はこっそり、こっそり熱い吐息を漏らす。

 

      サワサワサワサワ −−−−  

 

六月の風が そんな少年の想いを浚って吹きぬけていった。

 

 

 

 

「 ― 次。  ニケとアルベールの組、出て。  『 くるみ〜 』 より 三幕のGP。 」

「「 はい! 」」

教師の声に促がされ 次のカップルが中央に出た。

卒業コンサートの本番を前に、スタジオでドレス・リハーサルが始まった。

プログラム順に ペアが踊ってゆく。

 

「 ・・・ ふ ゥ ・・・・ 」

「 ハ ・・・ フ ・・・・ 」

スタジオの外では たった今、踊り終えた組が大息をついている。

「 ・・・ お疲れさま   ありがとう ・・・ジャック  ふう ・・・ 」

「 いや ・・・ こっちこそ ・・・ ファン ・・・ 」

フランソワーズは相手役の男子と 汗まみれの顔で笑い合った。

「 あの ・・・ 始めのリフト ・・・ あれで いい? 」

「 あ〜 タイミング、ばっちりだし〜  本番もこの調子で ・・・ やろうな! 」

「 え ええ  ・・・ なにか気がついたこと、あったら言って? 」

「 う〜ん・・・? 別に ・・・ 君は上手だから安心してるよ。

 ふふ 勿論僕のサポートも安心してくれていいからな〜  じゃあな〜 」

「 あ ・・・  ジャック ・・・   お疲れ様 ・・・ 」

上機嫌で引き上げてゆくパートナーを フランソワーズは物足りない気持ちで見送った。

「 ・・・ もうちょっと なにか ・・・ 言ってほしいな・・・ 」

ぷるん、とタオルで顔を拭い、彼女も更衣室へ歩き出した。

廊下の途中で やはり衣裳をつけたダンサーが佇んでいた。

「 ・・・ファン ・・・ 」

「 あら、 ミシェル。  ね! ステキだったわ! あなた達の 『 ライモンダ 』 」

「 君達の 『 ジゼル 』  しっかり見たよ。 」

「 あ〜〜 ありがとう!  ね ね どうだった?? どこかヘンなところ、あった?

 ジャックは おっけ〜って言ってくれたんだけど。

 先生方からも 一応 ダメ は頂かないですんだのよ  」

「 ・・・ うん   ・・・ 言ってもいいか。 」

「 え? どうぞ 勿論。 」

ミシェルは 真正面からフランソワーズを見た。 そして ゆっくりとしかし はっきり言った。

 

「  ―  君は上手に踊ったけど   ジゼル を踊っているわけじゃない。 」

 

「 ・・・ え? どういうこと?? 」

「君の踊りは 上手だったよ。  パートナーとのタイミングもばっちり だった。

 けど ・・・  ジゼルのこころ が 俺には見えなかった。 」

「 ・・・ こころ ?  ジゼル の? 」

「 そうだよ。 ファン、 どう思っている? 」

「 どう・・・って・・・? 」

「 ジゼルはさ。 どんな気持ちであの パ・ド・ドゥを踊ったと思う?

 彼女・・・死んじゃったんだぜ?  アイツの、アルブレヒトに裏切られて さ? 」

「 え・・・ ウレシイのじゃない? 好きだったヒトと踊れて・・・ 」

「 ・・・ 嬉しい ・・・? 」

「 ええ。  だってず〜〜〜っと好きだったんでしょ? その彼と踊れたらうれしいわよ。 」

なんでそんなコトを聞くのか、なにがなんだかさっぱり・・・という様子のフランソワーズを 

ミシェルはしばらく黙って見つめていた。 

  そして ・・・

「 ・・・・  きっと君はオペラ座に採用されるよ。  テクニック、容姿ともに最高だもの。

 そして これからも、どんな役だって踊りこなせるよ。 」

「 ミシェル ・・・ あなた、なにが言いたいの? 」

「 ・・・ けど。  俺が見たい、 俺が一緒に踊りたいのは そんなファンションじゃないんだ。 」

「 ミシェル ? 」

「 いつか ・・・ 君がジゼルのこころを踊るようになったら

 一緒に踊ってください。  約束だよ。   それまで俺も 踊りを磨いておくから。」

「 ・・・・・ 」

もう一度、じっと彼女を見つめると ミシェルは静かに去っていった。

「 ・・・ な  に ・・?  なんなの ・・・・ 

 ジゼルの心?  ・・・ だってウレシイに決まってるじゃないねえ? 

 好きだったヒトと踊れるんだもの。   な〜によ・・・ 」

少女は憮然として少年を見送った。

「 ヘンなミシェル ・・・  ふ〜ん だ ・・・

 ちょっとはいいカンジだな〜 なんて思ってたのに。 パートナーとケンカでもしたのかしら。 」

もう知らない! と彼女は肩を竦めると 軽い足取りで更衣室に向かった。

「 ふんふんふん♪  明日はお兄ちゃんが帰ってくるし〜〜

 駅まで迎えに行って ・・・ その後、一緒にあの新しくできたブラセリーに行きたいな♪ 」

ハナウタは 更衣室のドアが閉った後も聞こえていた。

 

          ― 卒業コンサートは  来週 ・・・!

 

 

 

     ・・・  彼女は 『 ジゼル 』 を踊ることは できなかった。

 

 

 

 

「 ・・・ねえ。 なにかわかったって? 」

「 ううん ・・・ 全然。  警察はお手上げ だって。 」

「 ウソ ・・・! そんな 」

「 軍もさあ・・・ ほら、彼女のお兄さん、空軍でしょ? 捜索を依頼したんだって。 」

「 それで?! 」

「 全然。  その時間に所属不明の飛行機がパリ上空から南へ飛び去った、ってしか

 わからないんだって。」

「 南?  なんで? 」

「 ・・・ さあ ・・・ 」

「 お兄さんは半狂乱だって。 ・・・ ミシェルも ・・・ 」

「 え。 あの二人、 付き合っていたの? 」

「 さあ・・・?   とりあえず 彼女の卒業は保留 だってさ。 」

「 ふうん  ・・・ 」

ヒソヒソ話が あちこちで聞かれ、捜索は続けられたが ― 彼女の足取りはぷつり、と途絶えたままだった。   

なんの手掛りも得られぬまま、次第に捜索の規模は縮小されて行った。

そして < 行方不明者 > のリストに彼女の名が記され ・・・ 終った。

 

 

   ―  トントン ・・・

 

控えめなノックが聞こえる。  男性はその音を聞き分け 低い声で応対した。

「 誰だ。  ・・・ ミシェルか。」

「 はい。 」

「 ・・・ 入れよ。 」

「 ありがとうございます。  ・・・ それで? 」

「 ダメだ。   もうこれ以上 ・・・ 捜索する手段がない。 」

「 でも!  でも  ・・・ なんだって彼女が ・・・ 」

「 わからん。  君や他の友達にも聞いたけど、それまで誰かに付き纏われている、なんて事

 なかったそうだし ・・・  同じ様な誘拐事件もパリ近辺では起きてないんだ。 」

「 だけど! 現にファンは! 彼女は消えちゃったじゃないですか! 」

「 ― 俺が最終目撃者なんだぞ? 」

「 あ ・・・ すみません ・・・ つい ・・・ 」

「 いや ・・・ いいさ。  俺は絶対に諦めない 絶対に 絶対に ・・・ 妹を探し出す! 」

「 ジャンさん・・・ 俺 ・・・ 約束したんです。 」

「 え? 」

「 約束したんです ファンと。  いつか ・・・ 『 ジゼル 』 一緒に踊ってくれって。

 だから 俺も絶対に諦めません!  」

「 ― ありがとう。  俺もさ 妹と <約束> したんだよ。

 卒業コンサートを見にゆく、って。  アイツも俺と <約束> したんだ。

 オペラ座の団員になってみせる って。   だから ― 」

「 はい。 諦めません、諦めるなんて ・・・ できるわけがないです。 」

「 ・・・ ありがとう ミシェル。 」

オトコたちは焦燥した顔にそれでも淡い笑みを浮かべ がっちりと握手をした。

 

 

                 約束、したわ  お兄ちゃん ・・・!

 

         やくそくは  まだよ。  まだ ・・・ 果たしていないわ

 

         やくそくを果たすまで  わたし  わたし ・・・    死なない!

 

 

 

 

 

 

「 約束は守らなければなりません。 それはヒトとしての大切な務めなのです。

 神様との約束 も同じですよ。 」

・・・ また か ・・・  茶髪の少年は御聖堂 ( おみどう ) の中で

こっそり溜息をもらす。

穏やかな声 優しいトーン ・・・  大好きな人が話しかけてくれているというのに

彼の心はそっぽを向いていた。

 

    約束 ・・・ か。

    どうせ守れないのなら ― 初めから約束なんかしなければいいんだ 

 

    ふん ・・・ 無駄な期待をさせるって どんなに残酷か、皆 知らないから

 

不遜な思いを心に詰め込んでいるが 彼は決してそれを表面に現さなかった。

彼 ・・・ 島村ジョーは いつも平静な表情を変えない。

ジョーは 喜怒哀楽をあまり露わにしない青年になっていた。

 

物心ついた時には ― 周囲に大勢の< 仲間たち >がいる生活だった。

それが <当たり前> じゃない、ってことはすぐに思い知らされた。

自分たちが特別な環境にいる、<かわいそうな> 存在であることも 幼いながら

ジョーは身をもって認識させられてゆく。

 

    ぼく ず〜っとやくそく を守っていたのに ・・・ どうして?

    ぼく ず〜っといいこで いるのに ・・・ どうして?

 

    ぼくの約束 ・・・ だれも見ててくれないのかな。

    やくそく はまもらなくちゃいけない って神父様はいうよ。

 

    けど。  ・・・ ぼく やくそく なんかキライだ・・・

 

    ・・・ぼく。   もう だれとも なんにも やくそく なんかしない!

 

幼い涙に混じっていたものは悲しみ だけじゃなかった。

 

 

  そして ― 

 

「 ジョーは 本当にいい子になりましたね。 」

「 ええ ・・・ 勉強も出来るし、小さい子達の面倒もよく見てくれるし・・・

 小さい頃 さんざん手古摺らされたのがウソのよう・・・ 」

「 いつも冷静で落ち着いていますね。 オトナなんだな。 」

いつの頃からか ・・・ 彼の周りにはそんな大人達の声が聞かれるようになっていた。

実際、 いつも静かに微笑を湛えているけれど ・・・

 

    ・・・ 裏切られたくなかったら 期待なんかしないことさ。

    果たされないのだったら 約束なんかしない方がいい。

 

    約束を守っても ぼくにはなんにもイイコトは起きないじゃないか!

    守ってもな〜んの得もないなら ― 約束なんてムダさ。

 

    望まなければ がっかりすることもないんだ。

        いつだって 平和に生きてゆける さ ・・・

 

    ― 夢?   そんなあやふやなものは 忘れた。

 

 

彼は傷つくことを避けるため 何事にも踏み込まない、他人と深く関わらない。

一見、年齢よりも大人びた青年は ― 実は臆病なコドモだったのだ。

 

「 ジョー、お前のことは安心していますよ。 」

最近、育ての親、ともいうべき神父様は老いた顔を綻ばせ彼を眺める。

「 ・・・・・・ ( ごめん 神父様。 ぼく、違うんだ )  」

その度に彼はとても極まりが悪いのだが ・・・ 口に出すことはしなかった。

 

    ・・・  こんな風に ・・・ 一生 すぎてゆくのかなあ・・・

 

ふと そんなことを思うこともあったが ― 人と争ったり競ったりするのはイヤなのだ。

・・・とうより 負けたらイヤだから・・・というべきだろう。

彼は自分自身を護るために <精神のシェルター> に閉じ篭っていた。

当然  親しい友人は いない  つくらない。  

イケメン・・・と騒がれることもあったが 彼女も いない 面倒くさい。

 それを淋しい、とも つまらない とも思っていない。

 

  ―  島村 ジョー とは そんなオトナになるはず、だった。

 

 

 

 

 

「 !?  な な なんだってェ 〜〜〜 ??? 」

「 信ジテクレタネ。  アリガトウ。  握手 シヨウヨ。 」

「  ・・・・・・・ 」

 

ジェット・コースターで 三回くらい宙返りしたより驚天動地な体験の果てに 

かれは小さな手と握手をした。

そして とてもじゃないが信じられない、というか悪夢の続き、としか思えない展開の後。

島村ジョー は  009 として 存在することになった ・・・

生存するために 彼は文字通り死に物狂いの闘争をしなければならなかった。

皮肉にも 彼は本当の彼自身を失って初めて、全力でコトに当たるハメになった。

 

 

 

  ― そして。   今、 彼は < 普通の世界 > に戻りつつ ある。

 

 

「 ん 〜〜〜〜  いい気持ち!  ねえ いいお天気ねえ。 」

「 え ・・・ あ   う うん・・・ 」

「 うふふ〜〜 なんだか嬉しくなっちゃった♪  ね? 」

「 ・・・ あ  ・・・ うん・・・ 」

「 ふんふんふ〜ん♪  ねえねえ? 今度あっちの岬の方にまで行ってみない? 」

「 え ・・・ なぜ。 」

「 なぜ って。  ・・・だってなんだか面白そうじゃない? 」

「 ・・・・・ 」

 

     この女性 ( ひと ) ・・・ 変わってるなあ・・・

 

「 ? なあに? 」

「 ・・・ あ いや べつに。 」

「 そう?  ねえ やっぱり今 走ってみない?  この渚をずう〜〜っと ! 」

「 へ?   な なんで ・・・ 」

「 え〜 だってキレイじゃない? 気持ちいいじゃない? 

 こんなステキな日、 お日様や海と一緒に遊びたいの。  ね! 行きましょ。 」

「 ・・・ あ〜 ・・・ 」

「 あ! 加速装置 はナシよ?  ね それじゃ〜〜 いっせ〜〜のォ〜〜 せ! 」

「 ?? う うわあ〜〜〜 」

並んで駆けるのかと思いきや、 彼のシャツの裾はがっちり彼女に握られていて・・・

ジョーは引き摺られるように ― 仕方なく走り始めた。

 

     ・・・ な なんなんだ〜〜〜  このヒト 〜〜

 

<仲間> で。  共に死に物狂いで脱出してきた人 で。  今は一つ屋根の下に暮らすヒト。

その人は きらきらと輝くクリームみたいな髪と神秘な碧い瞳を持っていた。

「 わたしは003。  よろしく。 」

「 あ・・・ は はい ・・・ 」

赤い特殊な服をまとっている時には笑顔など微塵も見せなかった。

常に冷静沈着 ・・・ 確実にレーダーとしての役割をこなす戦士だった。

  しかし 今、 < 普通の世界 > にもどった時、彼女は 普通の女の子 だった。

 

      ・・・ な なんで そんなに明るく笑うんだ?

      屈託なく どうでもいいこと、喋って 笑って ・・・

 

      ―  いったい何が楽しいのさ ・・・?!

 

ジョーは日々、彼女のくるくる変わる豊かな表情に半ば感心し半ば呆れていた。

同じ運命に翻弄されたヒトとは ― とても思えない。

 

      ふうん ・・・ 変わったヒトだなあ ・・・

 

ともあれ 一つ屋根の下に暮らしてゆくことに、特に不都合はない。

ジョーは 老博士と 001 そして 彼女 ― 003 と、静かな日々を送りはじめた。

広いリビングで のんびりお茶を飲んだりするのも悪くない。

 

「 ねえ ・・・ 皆 頑張っているかしらね 」

「 ― 誰が? 」

「 いやだ、皆 よ。  ジェットやアルベルト ・・・ ジェロニモ Gr.やピュンマよ。 」

「 あ ああ ・・・ 皆 祖国に帰ったっけ。  やっぱり自分の国がいいのかな。 

 あ・・・ ごめん ・・・ 」

「 あら いいのよ、わたしには気を使わないで?

 わたしは 自分でここに残るって決めたんだもの。 」

「 ・・・あ そ そうだったよね  ・・・ ごめん  ・・・ 」

「 ほら〜〜 また〜〜  < ごめん > は もうナシよ。 」

「 あ ・・・ ごめ ・・・ いや う うん ・・・ 」

「 あのね。 皆は そりゃ故郷がいいって気持ちもあるだろうけど。  

 やりたい事があるから でしょ。 」

「 やりたい事? 」

「 皆 いろいろ ・・・違うと思うけど。 でも目的に向かって GO! よ。 

 グレートや張大人だって そうでしょ? 」

「 あ〜 お店 ・・・ 」

「 そ。  ね?  わたしもね。 決めたの。 」

「 え? 」

「 わたし ね。  また 踊る。 踊りたいの。  やるわ、わたし・・・! 」

「 ・・・ へ  へえ ・・・ す  すごい ねえ ・・・ 」

「 わたし ・・・ 約束があるの ・・・だから もう一度踊りの世界にチャレンジするわ。 」

「 ふうん ・・・ 頑張れよな。 」

艶やかな髪を一層煌かせ、そしてその輝きよりも明るい瞳のフランソワーズ。

そんな彼女を ジョーはただ ただ呆然と見つめていた。

「 ね それで ジョーは? 」

「 ・・・ へ? 」

「 ジョーは どうするの?  これから。 」

「 ・・・ え 〜 ・・・ あ ・・・ 別になにも ・・・ 今のままでいいかな・・・って 」

大きな瞳が ますます大きく見開かれる。

「 今の まま ・・・ ? 」

「 あ ・・・ うん。 ぼくは他に行くところもないし。 ここで暮して行ければ

 とりあえず ・・・ いっかな〜 なんて ・・・ 」

「  ねえ 009.  ・・・ いえ、ジョー。 」

碧い瞳が 真正面から見ている。

 

「 ― アナタ ・・・ 本当に <生きて> いるの? 」

 

 

 

Last updated : 07,24,2012.                   index       /      next

 

 

***********   途中ですが

003、 フランソワーズ・アルヌール嬢は バレリーナ  なのです!!!

ってことを主張したい話です〜〜 ジョーが 平ジョー というよりも

平成のワカモノっぽくなってる ・・・ かも★